きしまの歴史

きじま名物「海幸盛」について

浜で捕れたての
新鮮な魚を提供したい
その純粋な想いから、
私たちの物語が始まりました

きじま創業のころ

日本大漁物語のはじまり

全国には無数の「浜」がありそこで食べられる一番旨いとされる名物料理が数多くあります。九州佐賀県唐津市は現代表きじまの先代の出身地です。唐津には玄界灘があり、魚が美味しいことで有名です。なかでも唐津の名物は「剣先いかの活け姿造り」で県内外からも多くのお客様が活いかを食べに訪れます。

今から50年以上も前、きじまが幼少のころ、両親と唐津へ墓参りに行った時には決まって連れて行ってもらった活魚料理屋がありました。その店では、「剣先いか活造り」の注文が入ると、いけすから網で揚げてすぐにさばいてくれたものでした。きらきらと透明に輝くきれいな身で、コリコリした食感に甘味と旨味のあるいかです。

その店では、ほかにも、おこぜや、石鯛、あじなど、注文にあわせて活け造りにしてくれて、 きじまはいつも、子供心にもわくわくし「お刺身っておいしいな、楽しいな」と感じていました。

昭和50年代、戸塚駅前で洋品店を営んでいた先代が、店を居酒屋に業態変更したのを機に、現きじまが先代のあとを継いで、何の修行もないままに厨房に入ったのは、18歳の頃でした。無我夢中で仕事をする毎日が続くなか、たった一人の頼りにしていた板前さんは突然いなくなってしまい、あとにはきじまを信じて入社したばかりの18歳の社員が一人と、数人のバイト生だけが取り残されました。窮地に立たされたきじまは、必死の思いで、本を見ながらメニューを作り、皆を励ましながら営業をつづけていました。

どんなに苦しくても決して弱音を吐かず、明るさを常に忘れないきじまのバイタリティは生来のもので、スタッフたちも、皆きじまを信じてついてきました。 その時代、周りには居酒屋チェーン店がぽつぽつと出来はじめたころで、苦労してせっかくひいきになってくれたお客様もすぐに引き潮のように新しい店へ取られてしまうことの繰り返しでした。

自分たちの今のやりかたのままではいずれ限界がくると感じていたきじまは、幼い頃の、あの活魚の活け造りを食べた体験から、生きた魚を扱ってみたい、自分の店でお客様に活魚のおいしいお刺身を食べていただきたいと思い始めました。そこである日いつも仕入れに行く市場の魚屋から、思い切ってはじめて活けの「常磐産石ガレイ」を一尾仕入れてきました。

大きな発泡スチロールの箱に酸素を入れながら運んできた時、きじまの嬉しそうな顔を前に、スタッフたちは大きなカレイを覗き込み、「すごいなぁ」「高そうだなぁ」「捌(さば)けるかな」という表情を浮かべていました。
興味深々のスタッフが見守るなか、さっそくきじま自ら市場で教えてもらったやり方で捌いてみると、身の引き締まり方や美しさ、歯ごたえと弾力のある美味しさが格段にいつもの鮮魚とは違う。スタッフたちも一口食べてびっくり、皆活魚の素晴らしさを実感しました。

活きた魚から作る刺身は当然うまいことを実感した皆は、さっそくその日のお客様に召し上がっていただいたところ、『これ、うまいね~!』と大喜び。お客様の笑顔を見て、きじまをはじめスタッフたちも大いに喜びました。

浜との出会い

浜との出会い

市場から1尾、2尾と活魚を仕入れる日が続きましたが、ほどなくきじまは、お客様にもっと喜んでいただくため本格的に活魚の扱いを増やしたい、朝とれたての活魚をお客様に提供したい、そのためにも自分たちで魚を直接「浜」から仕入れたいと考えました。思い立ったら即行動です。そこで4時に起きて長靴を履いて浜へ出かけるようになりました。漁師さんに勇気を持って直接魚を買えないかと交渉をする日々が長く続きました。

どこの馬の骨ともわからぬ若者が「魚を売ってください」と言うのです。最初はろくに相手にもしてもらえませんでしたが、なんとかうまい魚をお客様に提供したい、魚を食べるなら“きじま”だねと言っていただける店にしたい、その思いが情熱となり徐々に漁師さんに通じるようになりました。

漁船が岸壁につくやロープを取ったり、魚の荷下ろしを手伝ったりしながら、漁師さんと会話も弾むようになり、徐々に心が通じるようになったのです。そこできじまは漁師さんの苦労や努力、そして人情味あふれる温かい心に触れる事が出来、魚をとおして様々な事を学んだのです。また、魚の目利きの仕方から、浜特有の魚の買いかたも教えてもらいました。

その後、だんだんと苦労が実り、あっちの浜からこっちの浜からと、少しづつ魚が買えるようになりました。きじまは自ら軽トラックの荷台にダンベというプラスチック製の海水を入れた大きな簡易水槽を積んで、近隣の浜から、活魚を仕入れそこへ泳がせて運び始めるようになっていました。

店舗も改装をして、店頭や厨房内、カウンターの上にまでいくつもの水槽を備えた活魚料理屋「うみさち料理きじま」として生まれ変わりました。
毎日のように、朝どれの活魚が仕入れられるようになったきじまは、お客様からもその美味しさを次第に認知されるようになり、ご予約でご来店していただけるようになりました。きじまをはじめスタッフたち皆が、自分たちの仕事に大いにやりがいを感じてきたのもその頃です。お客様が喜んでくださる笑顔が何よりの励みになりました。

活いか輸送への挑戦

活いか輸送への挑戦

さて、このころきじまが次に考えていたことは、幼いころ驚きとともに味わった、「活け剣先いかの姿造り」を戸塚のお客様に食べていただきたい。生きたまま九州から輸送したいという大きな夢です。きじまの熱い思いを知り、スタッフたちもその夢に賛同してくれました。この夢をかなえるためには、どうしても自分たちの活魚車が必要でした。

小さな料理屋にとっての大きな挑戦「大型活魚車」の登場です。活魚の輸送のための人材も雇い入れ、いよいよ九州からの活けいか輸送が始まりました。

ちょうどその当時、三菱重工で海洋水浄化研究をされていた方と知り合うきっかけがあり、その方の研究のためにも大いにこの「活剣先いか輸送」がお役に立てることがわかり、きじまとふたりで九州唐津へ常駐してくださり、お知恵をお借りしながら、きじまの活魚車に様々な創意工夫を凝らしました。

しかし、輸送をはじめてみて、早速大きな壁につき当りました。いかは、元来大変デリケートな魚で他のどの魚よりもストレスに非常に弱く、墨を吐いたり、弱ってアガって(死んで)しまう事が多々あるからです。あまりにリスクが多いので、「運べて大阪までだね」と唐津のいか漁師さんたちに言われたことが現実に突き付けられました。

輸送の苦労は何年か続きました。スタッフたちは、きじまを信じ、店を守りながら待ちつづけます。今回は、大阪まで来たところで全滅した。今回は名古屋までだった。大阪で3時間止まっていかを落ち着かせてまた走ったけどだめだった。今回は休憩を入れて、水温、酸素の調節をしながらまた走ったが浜松で全滅した。

何度も九州からの輸送にチャレンジしつづけ、私たちはついにその日を迎えることが出来たのです。

1990年に、関東で初めて九州からの活きた剣先いかの輸送に成功し、店頭で活魚車の水槽を泳いでいる剣先いかを目のあたりしたスタッフたちは歓声をあげました。お客様も何の騒ぎだとびっくりして出てきました。『へえー九州から活きたまま運んできたの?!』『はい!』『すごいね~!今日食べたいなぁ』『かしこまりました!』『うまいねー!!』『九州から来たいかが、ここで食べられるなんて感激だよ!』『えっ、姿の方は後で天ぷらにしてくれるの!』『うまい!うまい!』と、活いかを召し上がったお客様は、それはそれは大喜び。

今現在の店舗にも、全国各地のいかが泳いでいますが、この活いかの輸送から得た技術が確実に生かされ今も私たちの誇りとなっているのです。

私たちが大切にしたい
「海幸盛」の物語は
これからも続きます

私たちの日本大漁物語

きじまが先陣を切って行ってきた、浜から活魚鮮魚を直接仕入れるスタイルは今も変わりません。
きじま仕入部のスタッフは日々刻々と変わる天候・海のしけの状況などを見ながら、漁師さんや仲買業者さんからなるきじま独自のネットワークを駆使して漁獲の情報を取り、毎日活魚車を走らせています。
一方、店舗においては、調理スタッフたちが仕入れた活魚・鮮魚を大切に扱い、その魚に一番ふさわしいお料理にしてご提供します。 なかでも創業のころからの名物「海幸盛」には活いかや活魚がお目当てのお客様の期待に添えるよう選び抜いた魚種を揃えます。 フロアではスタッフが明るい笑顔でお客様の大切なひと時を思い出に残していただけるようおもてなししています。

旬の魚は、その季節を迎えた私たちの体に旨いと感じる滋味を持っています。
ときに荒ぶる海と日々向き合い良い時期の魚を獲ってくださる漁師さんやそれを守っている浜の人々、魚を目利きして買い付け細心の注意を払い輸送をする者、美味しさを引き出し料理する者、真心こめておもてなしをする者、これらすべての人たちが、私たちのおもてなしになくてはならない大切な仲間です。

私たちが、豊かで大きな海のめぐみである「うみさち」を大切に扱い、その美味しさを最大限に生かす「海幸盛」にし、特別な思いを込めてご提供したい訳はここにあります。

名物「活いか・海幸盛」

海幸盛(うみさちもり)へのこだわり

海幸盛(うみさちもり)

きじまに来たらぜひともお召し上がりいただきたいのが、きじま名物「海幸盛」です。
創業のころからこだわり続けた一品できじまの鮮度の象徴としてお客様から支持され続けて参りました。

魚にはそれぞれ一番美味しい旬の時期や、その身質にあったさばき方や、扱い方があり、きじまが長年育んできた様々な技術が「海幸盛」のなかに脈々と息づいています。きじまの活魚料理はお客様にとっても、私達にとっても特別なお料理です。

お客様の注文にあわせて、魚をいけすから上げ、熟練の調理人がスピード感のあるさばき方で、活いか、活魚を中心に、いろいろな種類の魚を豪快に盛り込む、「海幸盛」は、一度食べたら忘れられない美味しさです。
お刺身を楽しんだ後には二度目のお楽しみも。活いかの姿は、天ぷらや、塩焼きに、活魚の姿は、荒汁にいたします。

きじまではこれらを「後料理(あとりょうり)」と呼んでおり活いかの姿はお客様にお好みのお料理方法をお選びいただいております。

また、きじまでは、この「海幸盛」の美味しさをより引き立たせるために、国産丸大豆を使い添加物を一切使用せずに二年の年月をかけて作る「さいしこみ醤油」と、長野県安曇野産、清流育ちの「生わさび」をお付けしております。
すりたての生わさびときじまじょうゆで海の幸を存分にご堪能ください。

生きている素材
「活いか」へのこだわり

活いか

きじまでは様々な活魚を扱いますが、なかでも『活いか』は大変デリケートで扱いがむずかしいことで有名です。

長年「活いか」を扱ってきたきじまには水槽の管理からはじまり魚の扱い方と美味しさを引き出す調理方法に独自のノウハウがあります。 また、きじまの活いかは自社の活魚車で仕入れを行っており、魚種それぞれの最も味の良い時期に仕入れを行います。

キラキラとクリスタルの輝きを放つ『活いか』はスピード感のあるさばきかたでお出ししており一度食べたら忘れられない食感と独特の甘味が特徴です。

きじまが扱う活いかには様々な種類があり、例えば「するめいか」は歯ごたえが良くコリコリとした食感が特徴で「肝(きも)」をお醤油に入れて肝醤油にして召し上がるとわさびとはまた違った美味しさが楽しめます。また、稀少で魚体の大きな「あおりいか」は肉厚で甘みと旨みが広がる素晴らしい美味しさです。

活いかの後料理(あとりょうり)「天ぷら」「塩焼き」もきじまならではのお楽しみとしてお客様にご支持を頂いております。